水木作品の静かなる呟き

 一度だけ、かの水木しげるさんにお会いしたことがある。そして、ほんの二、三分の立ち話だったけれど言葉さえ交した。

 東京・調布市の水木さん宅を訪ねたのは、もう四十数年も昔、二十六、七才の頃だったろうか。

 千葉県流山市の片隅から、東武・常磐・山手・京王の各線を乗り継ぎ、ほぼ二時間近くかかった。当時、電車で出掛けるなんてほとんど無かったことだし、苦手でもあったので、ずっと緊張し続け疲れた。

 だから水木さん宅の玄関口に辿り着いた時はホウと肩で大きく息をつき、"ああ、はるばるここまで来たか!”の感を強く持った。

 「今日は、ごめん下さい」。開け放してある玄関から奥へ声を掛ける。「ハーイ」と返事があり、ややあって水木さんご自身が現れた。

 立派な体格をしていて、"大きい人だな"と、先ず初めにそう思った。でも、もしかしたら普通だったかも知れない。次いで、"居る、いま目の前に水木しげるさんが居る!"、胸の内でしきりに感心していた、多分アガっていたのだろう。

 「ぁ、アノ初めまして。自分はつげ義春の弟の忠男といいますが・・・」来訪の目的を説明しかけた言葉を遮るように、「ああ弟さん? ああ・・・。そうですか、ま、どうぞ上がって下さい」。突然の成り行きに多少の戸惑いを見せつつ、手振りで家の中へと促してくれた。「ぁ、イヤ結構です。実をいうと・・・」

 実をいうと、あの日、自分は兄に会いに行ったのである。その事は前以て電話しておいた。水木さんのアシスタントをしていた兄は、近くの下宿先から水木さん宅の仕事場に通っていたのだ(と思う)。おそらく電話では道順を説明しにくかったのだろう、先ずは水木さん宅を訪れるよう住所を教えてくれたのである。そう記憶しているのだが、なにしろ大昔のこと、まるで違うかも知れない。

 「ああ、そうだつたんですか。エート、義春さんの下宿は・・・」。穏やかな口調で水木さんが道順を教えてくれた。この部分はいつまでも忘れ難い。で、一応会話を交したことは交したのだが、たったそれだけである。ホラ、初めに記した通りね。後でまた触れるが、それは実に勿体ない話だったと思う。

 兄の起居する下宿は六畳一間きりだったような気がする。或いは四畳半位だったか?齢をとると記憶がこうも朦朧としてしまうものか、書いていて不安になる。当時間借りしていたのはラーメン屋の二階だったらしいのだけれど、どこか細い路地へ入ったこと以外、家の外観などはチラとも思い出せない。

 夜の外燈のように点々とそこだげが鮮明で、あとは朧気であったり、皆目見えなかったり。

 兄に会いに行った理由は特にない。

 中学卒業後、自分は工員であったり、漫画描きであったりを何度か繰り返していて、丁度その時は、人気漫画誌『ガロ』に採用されて間もなくの頃だったと思う。同誌のメンバーに加われた事で日々気分の昂揚が続き、兄と漫画の話でもしたかったのかも知れない。

 しかしお互い会話はポツポツで、いま内容などはすっかり忘れた。部屋の隅の机にまだ下描き中の原稿が何枚かあり、ところどころはペンが入っていた。いつも見慣れている兄の漫画とはまったく異質の絵柄とコマ展開で、トピラには「ねじ式』のタイトルがあった。

 兄とは大して話もせずに別れての帰途、電車に揺られつつ、胸の内で幾度も自分の迂闊さを嘆いた。水木さんに家へ上がるように促されたあの折、なぜ応じてしまわなかったのだろう。兄とはそのあとか、別の日でもよかったのだ。水木漫画のファンとして、是非話してみたかった。サインもお願い出来たのではなかろうか。お茶が出、もしかしたら厚切りの羊カンなんかをご馳走になれたかも知れなかった。

 本当にドジだった。以来、ずっとずっと、現在でも悔み続けている。

 兄がアシスタントを"諾"とした経緯は知る由もないが、そうなる何年か前、"断然面白いから"と水木さんの漫画に目を向けるよう勧められたことがある。心酔とまではどうかと思うが、相当影響を受げていそうな気配が窺えた。

 ならばと、以後水木さんの漫画に出会うと必ず読むようにした。出会いは楽しみだったけれど、決してマニアックな読者ではなかった。古本・貸本店などでたまたま手に出来ればという位で、積極的に探し求めた訳ではない。だから作品の年代順なんかは勿論、新・旧作あとさきに読むことになろうと一切構わなかった。知らず、自分はすっかり水木漫画の"病みつき"になっていたようである。

 多くの作品群の中では、『妖棋死人帳』(長編)と『かえり船』(中編)の二作が、とりわけ強く印象に残っている。

 多分どちらも、貸本店向けに安い原稿料で量産を強いられていた、悪戦苦闘の年代に描かれたものではなかったかと思う。ペンタッチからの判断なのだが、この頃の絵の描線が自分は好きだ。人物も風景も、空間を埋める斜線も、総て線は太目である。使い込んで、先が丸くなったペン先を更に使用しているような具合だ。勝手な決め込みだが、"ペン先だって安くはないんだ、そうそう替えられるか"の気魂(?)が窺えるようで好ましい。

 但し、ギザギザやパリパリのささくれなどはまるで見当たらない。少々描きにくい曲線だって難なくこなしているが、しかし決してスラリと流麗という訳ではない。なんだか感覚的な物言いになるが、ユッタリとしていて、ただひたすら"優しさ"を覚える描線なのである。

 同じことが、『妖棋死人帳」や『かえり船』のストーリーについても言える。

 ベタと斜線を多用した、ダークトーンの絵に負げず劣らずの暗く、淋しく、哀しい内容で、普通には相当やり切れない読後感が残るはずと思う。ところが、自分にはなぜかホッと安堵出来た。

 救いのない物語に癒やされる思いがしたのは、登場人物の辛い心情がよく解ると同時に、こちらもまた解ってもらえたとの不思議な気持が働いたせいだろう。暗癇としたドラマをこういうふうに愉しめるのは、自分だげに限らず、長い間余り芳しいとはいえない境遇に置かれた者たちの"特権"といっても良いか。

 「人生なんて、そりゃあヤッカイなことばかりだけど、、とりあえずこうして生きているんだから・・・」

 捨て鉢でも、開き直りでも、また達観などでもない、自然で静かな肱きが、水木さんの多くの作品から聞きとれる。

水木作品の静かなる呟き